昨日の夕方、ラーシュ・ヴィルクスが車の衝突事故で死んだ。彼の命を守るために同行していた2人の警察官と共に。
ヘルシンボリで生まれたラーシュ・ヴィルクスはルンド大学で美術の博士号をとり、長年オスロやベルゲンの芸術大学で教鞭を取った人だが、彼を有名にしたのは「表現の自由」を求めるその壮絶な戦いだ。
スコーネに遊びに来た人は、割と高い確率でガイドブックには乗っていない観光名所、ヴィルクスが流木を使って勝手に建造した「Nimis」帝国に行くことになるが、40年前から自然保護地区で彼が建造を始めたこの建造物は、その後自治体と建築許可を巡って長年争い続けることになり、また何度も火事にもあっている。
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しかし、ヴィルクスを世界的に有名にし、また命を狙われる要因となったのは、2007年の夏に発表されたイスラム教の預言者ムハマンドをロータリーに建てられた「犬」のように書いた風刺画だ。
スウェーデンのヴァルムランド地方で開催された「犬」に関する展覧会への展示作品の一つとして作成されたその作品は、セキュリティ上の判断から展示は取り止めになったが、その後地元の新聞が「宗教を嘲笑する権利」という表題でこの絵を紙上に掲載した。
その後ヴィルクスはアルカイダが殺人懸賞金の対象とした他、世界中のイスラム世界から非難され、24時間体制で警察の警備の元に暮らすことになった。2015年にはヴィルクスがコペンハーゲンで行った講演会中に起こった銃撃事件で1名が死亡し、数名が負傷するという事件もあった。
昨日の衝突事故の詳細はまだ明らかになっていないが、ヴィルクスと彼の警備役の2名の警官が乗った車がトラックと衝突したもので、トラックの運転手は命をとりとめ病院に運搬されたと報道されている。
ヴィルクスの死を受け、ダーゲンス・ニュヘテルの文芸部長のビョーン・ヴィマンは「彼がそれを望んでいたかどうかに関わらず、ヴィルクスは2000年代のスウェーデンで最も意味のある芸術家となった」とまとめた短文を発表している。
ムハマンドの犬の絵が発表されて大きな騒ぎになった当時、なぜこの人は人の嫌がることをわざわざやるんだろうと、私はヴィルクスのことを訝しく思っていた。
自分が自分の思うように表現できる自由は、自分の命が狙われても、彼の命を守るために他の人が犠牲になっても(今回は警官まで一緒に死んでしまったわけだが)、警備に多大な税金が使われたりしても、それ以上に大切なものだと彼が考えていることを理解するのにはすいぶん時間がかかった。
彼は自由のために不自由な生活ををすることを強いられたが、屈するどころか、その主張はより明確になっっていった。
自由の価値とはなんなのか、それをみんなに考え続けさせた彼の行動が、こんな形で終わってしまうとは。
芸術家のラーシュ・ヴィルクスが2名の警官と共に事後死(SVT)
モハメドの風刺画で警官による保護で暮らすことを強いられたラーシュ・ヴィルクス(SVT)
ビョーン・ヴィーマン「ラーシュ・ヴィルクスは2000年代で最も意味を持つスウェーデンの芸術家であった」(ダーゲンス・ニュヘテル)