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1942年の配給生活を体験する人たち

スウェーデン南部に危機装備ミュージアムというのがあって、そこでは世界大戦時に使われていた防空壕や、装備されていた戦車や武器などの展示をみることができる。このミュージアムの主催者が「非常時の食事を体験する」とイベントを年に1回、フェイスグループで参加者を募ってやり初めて数年になるが、今年は不安定な世界情勢やインフレを反映してか、興味を示す人が増えたという。

中立国として世界大戦には参加していなかったスウェーデンでも、ヨーロッパで戦火が激しくなった時期には物資が入手できなくなり、配給制が実施された。しかし、食事内容はちょっとつまらなくなったそうだが、人々はお腹を空かせることはなかったのだとか。

このグループへの参加者は、食糧事情が一番厳しかった1942年の状況を再現した食事内容を経験することができる。そこではお腹は減らないが、食べたいものが手に入らないので、調理する人は工夫を強いられる。

例えばパンやバターや、パンと一緒に食べるハムなどの具は手に入らず、コーヒーも一週間に13グラム(一杯分)の配給があるだけ。小麦粉やパンは一週間一人あたり117グラムしか手にはいらないので、パンに対する渇望が起こる。

しかし牛乳は欲するだけ入手でき、ビタミンの供給源としてレコメンドされていたし、また、野菜、果物、じゃがいもはいつでも手に入った。肉は少ししか配給されなかったので、多くのスウェーデン人が戦時下ではベジタリアンだったそう。

この時期マッシュルームでできたミートボールや、穀物でできたソーセージなど、今のビーガン製品につながるような料理上の様々な工夫がなされた。砂糖が一週間に一人あたり446グラムまでとなっているのは、間違っているのかと思ったが、砂糖大根がスコーネで採れるので、砂糖には困らず、これでジャムやジュースをたくさん作っていたのだろうか。

その戦時下の食事体験に参加する人は、1ヶ月最大2860クローネ(1942年の平均的な水準で約700クローネ)の食費で、当時の配給リストにあるものとスウェーデン産の缶詰や乾物を購入することが許されるが、スウェーデン産の缶詰などは今はほとんど見当たらない。

スウェーデンでは第一次と第二次世界大戦中に配給制が導入され、また欠品による値上げを防ぐため国による価格統制が実施された。1940年から1951年まで、配給は国家食料委員会を名付けられた組織が管理し、まず最初にコーヒーが、そしてその後、紅茶、肉、卵、砂糖、生クリーム、小麦粉にパンなどが、配給制で管理されることになった。

この記事によれば第二次世界大戦中は電気も配給制だったそうで、1941年から1942年にかけては石炭や石油の輸入が途絶え、寒い冬が続いた後に、水力発電が主要な電力源だったスウェーデンでは1947年には水不足が起こり、1947年から1948年にも電力使用が配給制になったとのこと。

こう書いてくると配給制は「昔の話」だけでは片付けられず、いつ現代に戻ってきてもおかしくない話なのかもしれない。

1942年の非常時の食生活を試す人たち(ダーゲンス・ニュヘテル)

© Hiromi Blomberg 2023