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アビスコのオーロラと2003年の1人の凍える日本人

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フィンランドのロヴァニエミやノルウェーのトロムソと並んで、北欧のオーロラ名所となったアビスコだが、20年ほど前は冬は訪れる人もなく、春から秋にかけてだけの観光地であった。

そのアビスコの冬を一変させたのは、2003年の冬にこの地にやってきて「オーロラ」と繰り返す、あまり英語の話せない1人の凍える日本人であったことを、関係者が取材で明らかにしていた。

2003年アビスコのツーリストステーションのマネージャーを務めていたプッテ・エビューさんは、当時冬の間は閉鎖されていたこの宿泊施設の切迫した経営危機を改善する使命を受けた。彼は9月から2月の間閉鎖されていた施設に移り住んで営業期間を長くする方法を模索することにした。

そんな中、11月のある日の夕方、訪れる人のないはずの玄関のドアがノックされた。訝しげにドアを開けたプッテさんの前に現れたのは、2メートルを超える長身の、革のコートを着た凍えた25歳くらいの日本人男性だった。

英語もほとんど話せなかったが、「オーロラ」という言葉を繰り返す。凍える彼にスープを差し出して、なんとか理解したところによると、この青年は東京からヘルシンキ、ロヴァニエミに飛び、バスでキルナへ移動し、そして列車でアビスコに到着。閉まっている暗くて寒いツーリストステーションの周囲をさまよっていたようだった。

Google翻訳もない時代で会話は難しかったが、理解できたのは、彼が日本語のサイトで「アビスコはオーロラを見るのに世界で最も適した場所である」と読んだらしきことだった。またその2ヶ月前に日本のテレビ局がアビスコからオーロラの生中継を行ったことも、彼の行動になんらかの影響を与えていたのかもしれない。

プッテさんはこの遠方から珍しい客のために、キャビンを開放して1週間宿泊させることにし、日本人はオーロラをたくさん見ることができ大喜びで帰っていった。

この出来事をきっかけにアビスコのツーリストステーションは、オーロラ観光に力を注ぐことになり、2005年から冬季の営業を開始した。その後のアビスコにおけるオーロラ観光産業の成功は、とどまるところを知らない。アイスホテルと協力体制を取って、日本でのマーケティングを集中的に行ったことが、当初の人気に火をつけた。

現在のアビスコは、世界中から観光客が集まるところになったが、それでもツーリストステーションは国立公園の真ん中に位置しており、ロヴァニエミなどに比べると観光地としての開発がそれほど進んでいない。マス・ツーリズムの波に乗っていないことが、これから観光業においてはおそらくより強力な優位点となり、ますます人々をひきつけるかもしれない。

さて、アビスコを一変させた日本人の青年はいったい誰だったのか? 休業中にやってきた言葉も通じない風変わりな客ということで、彼の名は宿泊記録にも登録されていない。2003年の11月にアビスコまで旅をした、2メートルの身長の43歳くらいの男性をご存知の人はぜひ連絡を!

世界を魅了してやまない一大観光産業・アビスコのオーロラ(ダーゲンス・インダストリ)

© Hiromi Blomberg 2021